2016年07月27日

伊丹万作その3

 してみるとここに設けられた五年という期間は単に文書上の体裁をつくろうにすぎないのであって、この規約条項制定の精神をわかりやすくいえば「自由退社をあえてするものにはふたたび立つあたわざる致命傷を与う」という殺風景な文句となるのである。
 しかし、我々の場合はまだいい。不幸引退のやむなきに立ちいたっても、明日から氷屋をやるくらいの資本と生活意欲は持っている。
 これが、一銭のたくわえもない薄給俳優などの場合はどうなるか。
 四社連盟以外の会社へ運動するにしても、わずかに東宝系のP・C・L、およびJ・O、各撮影所、千鳥系のマキノ撮影所くらいしかないが、これはいずれも仕事がやっと緒についたばかりであったり、あるいはやっと緒につこうとしつつあるところであったりして、その収容力はまことに微々たるものである。
 それにこれらの各会社でも同業者に対する遠慮から、そういう種類の人たちはなるべく雇い入れない方針をとっているし、万一雇うにしても、うんとたたいて安く雇い得る立場にあるのである。なぜならば「おれたちのほうで雇わなかったら君はもう行く所はないじゃないか」という腹があるから話はともすれば一方的になりやすい。
 してみると四社連盟による利益を蒙るものは必ずしも協定加入の各会社ばかりではなく、その余沢は不加入会社にまで及んでいることがわかる。右のような次第で、結局被登録者には退社の自由はほとんど皆無といってもさしつかえない状態になっている。


 数年来、映画をまったく見ていない私は、作品としての映画を批評する資格を持たない。したがって私は、映画「小島の春」を批評することはできないが、癩というものが、あのような仕方で映画にされ、あのような方法で興行されたという事実に対してはいまだに深い疑問をいだいている。そしてこの疑問はいまだに疑問のままで心の隅にわだかまっており容易に解けようとしない。そこで次にほぼ疑問の形においてこれらの問題を提出しておきたいと思う。
 私の郷里は四国であって比較的癩患者の多い地方である。そしてその大部分は浮游癩というか、四国遍路ないしは乞食となって仏蹟を浮浪してまわっているのが多い。したがって私は幼時から癩を意識したり癩者を見たりする機会が多かった。たとえば――
 少年の一日、私は仲間とともに遠足に出かけた。三坂峠という山地へかかる際の石の地蔵さまのあるところで休憩を取った。
 私は地蔵さまにもたれ、そこらいっぱいに咲き乱れた卯の花を眺めながら片手で無意識に石地蔵の肌をなでていた。すると、それを見た意地のわるい仲間の一人が私にいった。
「おい、ここは遍路の休むところじゃろうが。その地蔵も何べんどす(癩)になでられたかわからんぞ。もうお前にはどすがうつったはずじゃ。どすは空気伝染じゃぞ。」


 現在の映画はまるで植物のようだ。それは歩かない。こちらが出かけて行かねばならぬ。したがつて我々病人にはまつたく無関係のものだ。
 何年かまえ松竹座を除いてはまだ京都中の映画館にも映画会社にもトーキーの再生装置がなかつたとき、本願寺の大谷さんのおやしきの一隅にはちやんとトーキーの映写室がありウェスタンの再生機がすわつていた。
 本願寺は寺であるが、いわゆる寺ではない。試みにその事務所をのぞいてみよ。規模からいつて大都会の市役所くらいはある。なぜこんなことを知つているかというと、私は映写室を探して迷宮のような本願寺中をさまよい歩いたのである。
 こんな所にトーキーの映写室くらいあつても我々の家に犬小舎が置いてあるほどの感じしかない。しかし本願寺さんほどのクラスは日本の中に何パーセントもありはしないからトーキーというものは家庭を単位とする場合その普及率はゼロにちかい。
 しかし映画は元来館を単位として成長を遂げてきたものであるから、何もわざわざ家庭の中にまで侵入して行かなくても、毎日館を掃除して待つてさえいれば老若男女がどこからともなく賽銭を持つて集まつてくる仕組みになつている。
 ところが館を単位としての映画企業があまりにも高度の発達を遂げてしまつた現在ではもはや館以外で映画を見ることはまつたく不可能(といつてよかろう)となつてしまつた。
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伊丹万作その2

 順によつてまず最初に外地向き映画特製論を検討してみるが、ここでまず問題になるのはいわゆる外地向きとはいかなる謂かということである。論者は簡単にいう。すなわち取材の範囲を拡張せよと。またいう。雄大なる構想を練れと。もちろんいずれも結構なる議論である。私にはこれらの意見に反対するいささかの理由もない。それらは当然なさねばならぬことであるし、またできるときがあると思う。しかしながら、それは今日いつて今日できることではないのである。私はここでもまた、いうことのあまりにやすきを嘆ぜざるを得ない。
 試みに思え、国民学校の一年生でも、今日先生の教えを理解し得るのは過去六年間の家庭の薫陶が基礎をなしているからである。我々の過去に何の薫陶があつたか!
 説くものはまたいう。せりふの多い映画は不向きであるから、極力せりふを少なくし、動きを多くし、あたうべくんば活劇風のものを作れと。

 いくらクライスラーでも一日数時間ずつ、何十年の練習が積みかさならなければあの音は出ない仕組みになつているのだから話は簡単である。一般の観察によると映画は音楽がはいつていよいよ効果的になるものとされているらしいが、我々の経験によると、現在の日本では音楽がくわわつて効果をます場合が四割、効果を減殺される場合が六割くらいに見ておいて大過がない。だから音楽を吹きこむ前に試写してみて十分観賞に堪え得る写真を作つておかないと大変なことになる。
 ここは音楽がはいるから、もつと見られるようになるだろうという考え方は制作態度としてもイージイ・ゴーイングだし、実際問題としても必ず誤算が生じる。
 さて、こういうおもしろくない結果が何によつて生じてくるかということを考えてみると、それには種々な原因がある。が、何といつてもまず第一は音楽家の理解力の不足、といつてわるければ、理解力に富む音楽家が不足なのか、あるいは不幸にして理解力に富む音楽家がまだ映画に手を出さないかのいずれかであろう。
 第二に音楽家の誠意の不足である。
 これもそういつてわるければ誠意ある音楽家がまだ映画に手をふれないか、あるいは誠意ある人があまり音楽家にならなかつたかのいずれかであろう。
 第三に準備時間の不足である。


 つまり日活は会社の同意なくして退社したものの名まえを登録名簿から取り消さないでおくことができるし、日活が取り消さないものを松竹で雇い入れることは協定に反するからできないのである。そして協約を破った会社は、その相手会社に対して十万円の違約金を支払う義務がある。松竹が発狂しないかぎり十万円出して私を雇う心配はないからこの場合私に残された道は二つしかない。すなわち四社連盟以外の会社に就職するか、あるいは五年間映画界を隠退するかである。
 五年間というのはこれも協定の条文によって定められたところであって、つまり五か年を経過すれば他の会社は私を雇ってもいいことになっているのである。しかし現在の私の身分では五年間(たとえそれが三年であっても同じことである。)の食いつなぎはとうてい不可能である。たとえ塩をなめてその間を食いつなぎ得たとしても、さて今から五年目に、さあ伊丹万作作品でございと売り出しがきくかどうか。
 映画界という所は忘れっぽい所である。ここの五年は他の世界の十年、十五年に該当する。私は相当うぬぼれの強い人間であるが五年間作品を出さずにつないで行く自信はない。
 すなわち映画界で五年間の休業をしいられることは実際問題として生きながら干ぼしにされることと何らえらぶところはないのである。
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伊丹万作

 だれかが私に映画界の七不思議を選定してみないかといったら、私は即座に四社連盟をあげる。そしてあとの六つはだれか他の人に考えてもらう。
 四社連盟というものの不可思議性については以下私が申し述べるところによっておのずと会得されるだろうと思うが、とりあえず私は自分の知っている範囲で四社連盟とはいかなるものかという具体的な説明から始めようと思う。
 四社連盟というのは松竹・日活・新興・大都、以上四社が共同利益を目的とする協約を結んだことによって新たに効力を発生した一つの結社をさすのであって、その協約を四社協定(以前の五社協定)という。
 四社協定というのは、四社所属の従業員たちから就職に関する多くの自由を合法的に剥奪することを目的とする一種の秘密協約であって、その内容を正確に知っているのは前記四社の主脳部ばかりである。我々はいつとなく聞き伝えたり、あるいはたまたまその効力の発生した場合の実例を観察することによって、ほぼその内容について知っているが、多くの従業員たちは自己の生存権をおびやかすこの協約に関してほとんど無知であり、なかにはその協約の存在を意識しないものさえある。


 映画における音楽の位置をうんぬんするとき、だれしも口をそろえて重大だという。
 なぜ重大なのか。どういうふうに重大なのか。だれもそれについて私に説明してくれた人はない。重大であるか否かはさておき、さらに一歩さかのぼつて音楽は映画にとつて必要であるか否かということさえまだ研究されてはいないのである。
 音楽ははたして原則的に映画に必要なものであるだろうか。
 だれかそれについて考えた人があつたか。私の見聞の範囲ではそういうばからしいことを考える人はだれもなかつたようである。
 ただもう、みなが寄つてたかつて「映画と音楽とは不可分なものだ。」と決めてしまつたのである。原則的に映画が写り出すと同時に天の一角から音楽が聞えはじめなければならぬことにしてしまつたのである。
 何ごとによらず、すべてこういうふうに信心深い人たちであるから、いまさら私が「音楽は必要か」などという愚問を提出したら、それはもうわらわれるに決つたようなものだ。
 ことに音楽家連中は待つてましたとばかり、「これだから日本の監督はだめだ。てんで音楽に対する理解力も素養もないのだから、これでいい映画のできるわけがない」と、こうくるに決つたものだ。
 ここでちよつと余談にわたることを許してもらいたいが、映画において重大なのは何も音楽一つに限つたわけのものではないのだ。音楽家ないしはそのジレッタント諸君が映画をごらんになる場合、ほかのことは何も見ないでもつぱら音楽のあらさがしだけに興味を持たれることは自由であるが、そのあとで、なぜこの監督はその半生を音楽の研究に費さなかつたか、などとむりな駄目を出されることははなはだ迷惑である。



 すでにある芸術を政治が利用して有効に役立てるということはいくらも例のあることであるが、政治の必要から新たにある種の芸術を生み出し、しかも短期間にそれを完成するというようなことはほとんど不可能なことで、いまだかつてそのようなことが芸術の歴史に記されたためしはない。
 太平洋戦争が開始されて以来、外地向け映画の問題がやかましく論議せられ、各人各様の説が横行しているが具体的には何の成果もあがらないのは芸術の生命が政治的要求だけで自由にならないことを証明しているようなものである。
 ある種の芸術が昭和二十年代の政治に役立つためには、遅くともそれが昭和の初年には完成していなければならぬし、そのためにはすでに明治大正のころに十分なる基礎が与えられていなければならぬ。明治大正のころには我々は何をしていたか。そして君たちは?
 今となつて外地へ持ち出す一本の映画もないと叫び、その原因をあげて映画芸術家の無能低劣のゆえに帰し、口を極めてこれをののしる人がある。
 ああ、古来他の責任を説くほどやすいことはない。それで物事が解決するなら私もまたよくそれをすることができる。すなわち、かくも無能低劣なる我々に映画を任せきりにして今まで省みようともしなかつたのはだれの責任であるかと。しかし、かくして互にどろの投げ合いをすればお互がどろまみれになるばかりでついに得るところはない。
 日本映画の進出に関する方策については今までにおびただしい議論がくり返されたが、私の見るところではだいたいにおいてそれを二つの傾向にわかつことができる。すなわち一つは特別にいわゆる外地向きの映画を企画製作すべしという意見。他の一つは、ことさらに外地向きなどということを顧慮せず、優秀なる映画さえ製作すれば、進出は期して待つべしとなす議論である。こまかく拾つて行けばなおこのほかにもいくばくかの意見があるであろうが、方針の根幹はおよそ右の二途に尽きるようである。
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